ベトナムの子供たちは携帯電話の夢を見るか

我が家に「お掃除ロボット」がやってきた。
こう書くと、SF小説のようだが、うそではない。
Roomba Discoveryという、れっきとした実在の掃除機ロボットだ。
性能のほどは使ってみないとわからないが、
こういったおもちゃは嫌いではない。
かつて読んだ小説を思い出した。
ハインラインの名作「夏への扉」だ。
30年ほど前の小説で、今でも大変人気がある。
暗く内にこもらない主人公と、相棒の猫のおかげらしい。
主人公は、家事全般をこなすロボットなどを設計した技術者。
話の中に未完成の家政婦ロボットの描写が出てくる。
1970年代に冷凍睡眠に入り、2000年に目覚める。
今は、その物語が描いた「未来」を5年も過ぎた。
少し遅れているとはいえ、人間の「想像」したことはたいてい実現しているという。
我が家の「ロボット」もその「想像」の結晶だろう。
もっとも、「想像」すらできなかったら、どうなのだろう。
ベトナムで会った子供たちの将来の夢についての話になったときのことだ。
そのときは、「エンジニアになりたい」「医師になりたい」という素直な答えに、かえって「作り物」のにおいを感じていた。
海外の人たちが視察に来たときの、耳障りのいい「ご挨拶」のようなものに感じた。
彼らが携帯電話を手に、ドンコイ通りでしゃがみこむ姿を想像してみた。
違和感はない。実際、ベトナムでも携帯電話は日常の道具だ。
でも、これは「私の」頭の中であって、「彼らの」頭の中ではない。
こんなぐうたらな私でも、働いていない女子高生だって、果ては小学生だって携帯電話くらい持っている。
危険な時代だから、という議論は置いておいて、身の回りの人が持っていれば自分が使うところも容易に想像できるだろう。
この「想像できる」ということが、人間の生活を大きく変えるらしい、と最近の流行は語っている。
今日のタイトルは、これも有名なSF小説の題名からいただいた。
こっちの話はかなりダークな部類だ。
未来、「本物の」動物は高価で稀少だから飼うことができなくなってしまった時代。
機械仕掛けの精巧な動物型ロボットを「飼う」ことで満たされ、
近所の手前もあるから、修理工は獣医のような格好でこのロボットを修理に来る。
自分は下世話な人間なので、この気持ちがよくわかる。
映画化されたときはまったく別の話になっていたが、作者の才能はロボットや新兵器ではなく、「ものを想う人間」を見つめることにあると思う。
「人間と区別のつかないロボット」は「機械の動物でもいいから飼いたい」という気持ちを持つようになるのか? という疑問を、このタイトルは投げかけている。
子供たちの言葉が理解できなかったやっかみがもとで、
間違った見方をしてしまったとすると、恥ずべきは私だ。
次回のテーマがまた増えてしまった。
手の届く範囲しかできないのに。
ちなみに、SF小説のタイトルは
     「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
であり、作者の答えは
     「No」
である。(と、自分は解釈した・・・。)
    
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1 Comment

  1. ▼ アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / フィリップ・K・ディック ▲

    言わずとしれた、フィリップ・K・ディック(PKD)の代表作。
    映画『ブレードランナー』でご存じの方も、きっと多かろうと思います。

    この本、昔から気になっていました。
    そら『ブレードランナー』の原作ですから。
    同時に、変なタイトルだな。。。とも思って

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