世阿弥という人ががこんな言葉を残している。
「美しい『花』がある、『花の美しさ』といふ様なものはない。」
ここで触れられている「花」とは、野に咲く花のことではない。
能などの世界で、美の到達点のことを「花」と言い表したものである。
私のような無知な者でも、この文章が「花伝書」と呼ばれる書物の中にあることを鑑みれば
なるほど、そうなのか、という程度には理解できる。
日曜日に渋谷のUPLINKという小劇場のような会場で映画を見てきた。
タイトルを「SCOPE」という。
犯罪を犯した人間を監視するための「Scope法」なる法律が存在する
近未来の日本。
性犯罪を犯した人間は、刑を言い渡された後に出所したとしても
残りの生涯の行動や住所に至るまで、すべての情報を公開され
誰でもアクセスできる状態になっている、という世界だ。
内容は、思い出すたびに身を切られるような、
とてもつらい映画である。
近代法に分類される法制度の元にわれわれは生きている。
近代法では、「罰」は「人間」ではなくて「行為」に対して課せられるとしている。
「罪を憎んで云々」という話は、これに基づいている。
この近代法の範囲では、「行為」に対して懲役刑が処せられたら
刑期を終えれば出所することになる。
だが、この映画の中の世界では、「人間」に対して
一生涯にわたる罰を与える法律がある。
「被害者や、その家族の苦しみは消えることがないのだから
犯人も同じだけ苦しむべきである」
納得。
性善説を頭から信じるほど、私もおめでたくはない。
では、私の感じているグロテスクな影はなんだろう。
この法律は、「性犯罪者は決して更正することはない」という
人間不信の塊のような前提に基づいているのではないか、という不気味さだ。
刑法の解釈では、懲役刑を課せられた人間が、一定期間服役し、
「更正・改悛」の状が見られるとき
仮釈放という手続きにより、社会へ復帰することがうたわれている。
罪が消えたわけではないから、保護観察などの方法で見張られているのは同じことである。
社会に出ても服役しているのと同じような扱いで、
規定の刑期を終えるまでは国の管理下である。
ぴったりした言葉が見つからないのがもどかしいが、決められた刑期までは
「罰を受けている最中」であるといえる。
これに比べて、このScope法である。
ある「罪」に対して法律で一定の刑が科せられたとする。
その間服役して、出所する。
これで、「罪」に対する「罰」が完了する。
すると、その瞬間から「人間」に対して「死ぬまで」の「罰」が始まる。
これはもともと「無期懲役」だったのではないだろうかと錯覚する。
「性犯罪者が反省することはありえないので、あいつをもっと苦しませてほしい」と
言っているように感じられる。
反省の可能性が低いのならば、まず懲役の期間を長くすることが
本来の方法ではないだろうか?
懲役を長くしても、反省する可能性がないから「いい」方法を考えました。
世間のみんなでやっつけちゃいましょう。
懲役刑にしないで、わざわざ首から犯罪歴の札をぶら下げた状態で社会に放つ。
なんだか冷静さを欠いているように感じるのは私だけだろうか?
「自分も苦しいから、あいつも一生苦しめちゃえ」
もし自分や家族が被害者になったら、「そのとおりだ!」と言ってしまいそうだ。
否定する自信はない。
知らないうちに、自分の後ろにグロテスクで濃い影ができていた。
その姿は、私だ。
Scope法は映画の中の話なので、参考になった実際の法律の名前で語ることにしよう。
アメリカの、ミーガン法(メーガン法)という法律である。
最初に州法として成立したのち、連邦法になった法律である。
「犯人が許せないから、懲らしめてやれ」
と思うのは、とても素直で、当たり前の反応だと思う。
とはいえ、このような感情が法律になってしまったら
本当にこの世の中は住みやすい世の中なんだろうか?
誰かにとって住みやすい世界が、別の誰かにとって住みやすいとは限らない。
だからお互いの領域には過度に踏み込まないことで
危ないバランスを保ってきたのではかなったか?
しかも、被害者自身が本当に救われるかどうかの議論は
この法律とは別の場所にある。
復讐を果たし(加害者が罰を受けたことを、被害者はそんな風に見られるとは思えないが・・・)たら
被害者の心の傷は癒されるのか?
それほど単純なら、心療内科の医師は苦労がない。
世阿弥の言葉が宙ぶらりんになってしまった。
「花」が美しいのは、演じる人間がいてこその美しさである。
「花の美しさといふものはない」という言い方は、
「演じる人間」を考慮しない演技の良さ、という抽象的なものは存在しない
というようなことであろうか。
「犯罪」もまた、行為者なしには起こらない。
「誰か」が「何か」をしたから、「犯罪」が起こる。
「行為」と「人間」を完全に切り離すことなんて
もともと無理な課題だったもかもしれない。
それがわかっていて、挑戦している。
人が集団で生きることそのものが、無理難題に挑む行為なのだ。
そして、世界にはまだ暴力が満ちている。
わかったことは、
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がなんだか空虚に感じられるのは、
こんなに簡単な理由だったんだ、ということだけ。
頭が混乱しただけだった。
P.S.
佐野元春氏がホストを勤めるテレビ番組のプレビューにまで責められる。
ゲストはミスチルの
桜井和寿氏。
「定型質問」という、アクターズスタジオを思わせる質問がある。
佐野「嫌いな言葉は?」
桜井「『難しいよね』という言葉かな」
佐野「思考停止、ということですね」
耳の痛い言葉だ。
解決に向かって努力しない人間は認めない、と全否定されてしまった。
だれかもう少し優しくしてくれないかなあ・・・。