前回の続き。
欽定訳の出所は
http://quod.lib.umich.edu/k/kjv/
というサイトから検索しました。
霊感訳の方は
Joseph Smith's New translation
という名前のペーパーバックです。
30年くらい前に、ステイ先のコミュニティの協会でいただいた本です。
God shall enlarge Japheth, and he shall dwell in the tents of Shem; and Canaan shall be his servant
And he said,Blessed be the Lord God of Shem;and Canaan shall be his servant,
ここだけを見ても、何がなんだかまったくわからないはず。
ここは、9章20節からがひとまとまりの話で、
酔っ払ったノアと、その子供たちの対応について述べてあります。
英語も日本語も、たくさんの翻訳があり、解釈も微妙にずれているので
どれが正しい、とは言えませんが
「どうして差別を容認する内容だと解釈されているか」という
部分にだけ触れる。
ノアの酔いがさめたとき、末の子ハムだけがその場に居合わせなかった。
そのため(そのことに怒りを覚えたかどうかは書かれていないと思う)
ノアは恨み言を言い、神様も同じようにハムの子孫に命じた。
ノアは神様から、箱舟で逃げることを許されたのだから
神様のお気に入りだったのだろう。
そのノアが「ハムは薄情だ」と恨み言を言ったので
神様も同調したのか、ハムの子孫に災いが起こるように命じた、
と読めるだろう。
最後の部分で、"Canan shall be his servant"とあるのだから
ハムの子供カナンには、「しもべ」になれ、と命じた、と。
「しもべ」といえばきれいごとだが、要は「奴隷」だ。
つまり、ノアの子供の中で、ハムまでは神様に認められていたが
その子供カナンから、「しもべ」扱いである。
神様も、差別をするのだ、と。
で、この文章だ。
and a veil of darkness shall cover him,that he shall be known among all men
キリスト者の中でも解釈が分かれるとされているが、
"a veil of darkness"の部分をあえて追加し、
「ハムが薄情だったことが誰にでもわかるように、暗いヴェールが彼を覆った」
と書いてある。
この「暗いヴェール」とは、肌の色が暗くなってきた、という意味であり、
ここから
「肌の色がダークな人間はカナンの子孫なのだから、神様からも差別されている。
だからわれわれも差別してよいのだ、と神様がおっしゃっている」
と解釈しているのだろう。
ここまで拡大解釈するのか? と思うような内容だが、
これこそまさに「神学論争」だ。
自らが信じているものを放棄することは、
自らの過去をも否定することになりかねない。
そもそも私のように、一時的に本を読んで得た知識と、
子供の頃から触れ続けた、「教え」とは、重さが違う。
簡単には消えそうにない。
長々と書いてきたが、もとネタの映画は
アラン・パーカーの「ミシシッピ・バーニング」という。
私はクリスチャンではないが、何かを信じている人を尊重できないほど
偏狭な人間にはなりたくないと思う。
が、知らずにそうなっていても、私は気がつけないかもしれない。
そのことが恐ろしい。
晴れた日曜の朝にふさわしくない話題だった。
欽定訳の出所は
http://quod.lib.umich.edu/k/kjv/
というサイトから検索しました。
霊感訳の方は
Joseph Smith's New translation
という名前のペーパーバックです。
30年くらい前に、ステイ先のコミュニティの協会でいただいた本です。
God shall enlarge Japheth, and he shall dwell in the tents of Shem; and Canaan shall be his servant
And he said,Blessed be the Lord God of Shem;and Canaan shall be his servant,
ここだけを見ても、何がなんだかまったくわからないはず。
ここは、9章20節からがひとまとまりの話で、
酔っ払ったノアと、その子供たちの対応について述べてあります。
英語も日本語も、たくさんの翻訳があり、解釈も微妙にずれているので
どれが正しい、とは言えませんが
「どうして差別を容認する内容だと解釈されているか」という
部分にだけ触れる。
ノアの酔いがさめたとき、末の子ハムだけがその場に居合わせなかった。
そのため(そのことに怒りを覚えたかどうかは書かれていないと思う)
ノアは恨み言を言い、神様も同じようにハムの子孫に命じた。
ノアは神様から、箱舟で逃げることを許されたのだから
神様のお気に入りだったのだろう。
そのノアが「ハムは薄情だ」と恨み言を言ったので
神様も同調したのか、ハムの子孫に災いが起こるように命じた、
と読めるだろう。
最後の部分で、"Canan shall be his servant"とあるのだから
ハムの子供カナンには、「しもべ」になれ、と命じた、と。
「しもべ」といえばきれいごとだが、要は「奴隷」だ。
つまり、ノアの子供の中で、ハムまでは神様に認められていたが
その子供カナンから、「しもべ」扱いである。
神様も、差別をするのだ、と。
で、この文章だ。
and a veil of darkness shall cover him,that he shall be known among all men
キリスト者の中でも解釈が分かれるとされているが、
"a veil of darkness"の部分をあえて追加し、
「ハムが薄情だったことが誰にでもわかるように、暗いヴェールが彼を覆った」
と書いてある。
この「暗いヴェール」とは、肌の色が暗くなってきた、という意味であり、
ここから
「肌の色がダークな人間はカナンの子孫なのだから、神様からも差別されている。
だからわれわれも差別してよいのだ、と神様がおっしゃっている」
と解釈しているのだろう。
ここまで拡大解釈するのか? と思うような内容だが、
これこそまさに「神学論争」だ。
自らが信じているものを放棄することは、
自らの過去をも否定することになりかねない。
そもそも私のように、一時的に本を読んで得た知識と、
子供の頃から触れ続けた、「教え」とは、重さが違う。
簡単には消えそうにない。
長々と書いてきたが、もとネタの映画は
アラン・パーカーの「ミシシッピ・バーニング」という。
私はクリスチャンではないが、何かを信じている人を尊重できないほど
偏狭な人間にはなりたくないと思う。
が、知らずにそうなっていても、私は気がつけないかもしれない。
そのことが恐ろしい。
晴れた日曜の朝にふさわしくない話題だった。


